ありえたかもしれないもう一つの人生

カモメのように気ままに生きてきました。

港々で潮風に吹かれ、魚をついばみ、嵐の夜はただ耐え、穏やかな日差しを待って安らう・・・

そんな人生だった気がします。

自分の人生にはそれなりに満足していますが、別な人生を生きていたら、と思うことも時々あります。

世の中にはそれを本当に実行する人がいますね。

失踪者と呼ばれる人たちです。

有名な探偵社である原一探偵事務所のサイトで読みましたが、「失踪」は「家出」とは違うそうです。

一時的な出奔で帰宅の選択肢が残されている「家出」と違い、「失踪」は別な場所で別人として生きていくことです。

元居た場所でとても不幸で、失踪する人がいます。

親や配偶者から逃れたかった、決められた進路が受け入れられなかった、どうしても一緒になりたい人がいた、など。

しかし、明確な理由がなく失踪する人も稀にいます。

嵐の夜に海に出て、死んだと思われていたのに、生きていて何十年後に姿を現した人。

北朝鮮による拉致が疑われていたのに、実は失踪していた人。

私がニュースで知ったのはこの2人だけですが、発見された時は「長年、家族に心配をかけて申し訳なかった」と謝罪し、泣いたそうです。

それなら、なぜもっと早くに連絡しなかったのか?

失踪したことにも長年連絡を取らなかったことにも、彼らなりの理由があり、人には語らなかっただけかもしれません。

しかし、ある時ふっと今あるのと別の人生を生きたらどうなるんだろうという誘惑に襲われて、我知らず実行してしまったのかもしれない、とも思います。

私自身、そういう考えが浮かぶことがたまにあるのです。

私の場合は現実主義者のもう一人の自分がしっかりしていて、無謀な行動を常に引き留めたにすぎません。

しかし、この先、年を重ねて「このまま生きることに格別な意味がない」と感じる時が来たら、私も失踪するかもしれません。

より幸福な別の人生を期待してではなく、意味もなく死を待つ退屈から逃れるために。